アイドルとおんがくに囲まれたHappyLife

某アイドル事務所に心奪われているいい大人。おんがく大好き人間で、かなりのヲタ気質。転職して、ライブに行く時間がないのがとてもストレスフルになっている。ここも他のアーティストさんを書き散らかそうと画策中。

ほんをかくこと、よむこと(例の賞のおはなしです)

Twitter文学賞について書きます。少々辛口になるので、自信のない方はお引き返し下さい。また有料サイトの文章もそのまま載せられませんので、ニュアンスですのでお許しください。

 

まず私はTwitter文学賞には投票していません。今後一切投票することはないでしょう。

事の発端は、とあるツイートからだった。Twitter文学賞なるものの宣伝RT(公式さんだったと記憶)。これを引用して、あら、シゲにも投票できるのかしらね。ってつぶやいたことは覚えている。

 

正直、運営側のあれやこれや見てしまっているので(主に主催者)、この鍵のかけられない、パブリックなスペースで言及することは一方的になってしまうので避けようとは思うが、少々たどれば、どうしてこんなにこじれてしまったのかがお分かりになるかと。

 

  • 元はといえば、NEWSファンが投票しましょうと呼びかけのツイートをしたことが運営の気に障った(これは私は見ていないんですが)。
  • 文学界という、あちらからしたら違う畑のアイドル好きの集団が大挙していきなり投票して押しかけてきた印象を与えてしまった。
  • 運営側の認識の甘さ。8回目になるようですが、8年前とはTwitterの普及率や、利用者も断然違っているはず。「こじんまりと」Twitter上でやろうという軽い認識。
  • NEWSファン側からしたら、よくTwitter文学賞というものの特性を理解した上での投票にするべきだった。
  • 文学を愛するもの、という交わりはあるはずなのに、それが特性が違うがためになぜか分かり合えず、はねのけられる印象を受けてしまったこと。
  • お互い愛するものが違うけれども、それぞれが認め合えなかったこと。

あげたらこんな感じになるのでしょうか。

 

要するに、お互いのボタンのちょっとした掛け違い、からなんとなく雰囲気がこじれてきた印象があるんですよ。ただ、その加藤さんに入れましょう!という呼びかけ?を発見したら、なぜリプライなどで対応していただけなかったのでしょう。違った方法でさらす形になったから、一部の人の怒りを買った。

 

私は、「加藤さんにいれましょう!」というのは違うと思うし、本当に「チュベローズで待ってる」が面白いと思ったら、勝手にいれてるし、それは人に強制されてやるものではない。なので、ここは大いにファン心理、としては反省すべきところではある。

 

だって、加藤さんが好き、加藤さんの生み出す作品が好き、という共通項は変わらないわけだから。でも、それが時として、加藤さんの足かせになるんだということも今回のことでわかった、というか再確認した。

 

本もそうだし、音楽にしろ、美術にしろ、自分の感性で感じるものは、自分が感じたものを信じればいい。得票数でいいものが決まるわけでも、価値があがるわけでもなんでもない。「自分の心のベスト10」があればそれでいいのだ。自信を持ってほしい。の

だから、「チュベローズで待ってる」に投票した人がかなり取り下げてしまったことを残念に思う。本当にそれが自分の1位であるならば、自信をもって残しておいてよかったと思う。

 

Twitter文学賞の特性上、加藤さんの著作は適してないという声もあったが、だったらそれは募集要項に、「純文学に限る、エンタメ小説は除く」などの注意書きがあってしかるべきで、Twitterの今の利用者の年齢層などを考えると非常に「察して」という文学賞は優しくないなと思った。(現に主催者が、純文学しか読まないし、加藤さんは存じ上げませんが、と述べてしまっている)言葉のプロの集団であれば、それはきちんと明記すべきではなかったのだろうか。

 

さらに、もうTwitterはマスメディアと化しているといってもおかしくはない。そこで「ひっそりやろう」ということ自体がかなりずれているな、と私は感じた。

 

正直、クラウドが上がったことで、加藤さん、蒸し返してきたな…と思った。

いや、もしかしたらスタッフさんに言われて、書かざるを得ない状況だったのかもしれない。それはわからないが、せっかく沈静化されてきたところにあの文章。

 

私は「好きを否定されてしまったかなあ」という気持ちになった一人です。

 

アイドル加藤シゲアキ、ではなく、作家加藤シゲアキ、が純粋に好きだし、誰に強制されたものでもないし、強制するものでもない。少なくとも、ファンのみが見ている有料サイトに、誰それさんにはお世話になって、だれだれさんは尊敬する方で、なんて前置きは正直どうでもいいなって思ってしまった。(きつかったらごめんなさい)

 

アイドルの世界に身を置き、文学界にも身を置いている。そりゃ私たちの知らないわからない、大きな力、見えない力もあるんでしょう。でも、もう少し、文章の構成というか。書き方というか。「アイドル加藤シゲアキ、対しての投票してくれたとしたら、その票は全部無効にしてもらって構わないぐらい」(ニュアンス)というのは、少々純粋な気持ちで投票した人に対して誤解を生んでいないだろうか。だから、そこを読み解くと、「作家加藤シゲアキの作品が好きで、純粋にチュベローズが素晴らしいと思っている。」ひとは、堂々と投票してほしい、という意味なんだろう。(もちろん投票は促せないからそんなことは書けません)

 

ただ、さらっと読むと、すごくさらっとしている分、考えてしまう。

 

また気を遣うのが真っ先にあちら側だった、というのがショックだったのかもしれない。(ファンだったらわかってくれるだろうというのはあっただろうが)

 

例えば、

「僕もね、Twitter文学賞、毎年楽しみにしてるんですよね。チュベローズ、みんな沢山買ってくれてありがとう!すごくうれしいです。だから、もっと他のいい本もたくさん発見してもらいたいし、今回は、他の本に目を向けてみない??」ぐらいのシンプルな文章でよかったんじゃないの?って思ってしまった。

 

Twitter文学賞事務局さんへの文章ですか?これ?ってクラウド見て思ってしまいました。

 

とうぜん、「アイドル加藤シゲアキとして応援してくれているなら、投票を辞めてくれ」ということが書いてあるので、いっしょくたにしないでくれよ、という気持ちはわからなくもない。でも、加藤さんを窓口に読書を始めた人、一冊を大切に抱きしめるように大事に読む方、たくさん冊数を読んでいく読書家の人。いろんなタイプがいるだろう。

 

加藤さんには自分を卑下して、「あそこにはいるなんておこがましい」と書いているが、また卑下させてしまったな、というファンとしての後悔と、加藤シゲアキという作家の居場所がすでにもう文学界にあって、そこにズカズカと勝手に入ってこないでね、って言外に感じたのは私だけだろうか。思った以上に、加藤さんは、文学界に身を置き続けたいと強く願っている、本好きの一人である、という認識。それがファン側(私だけかもしれないが)に欠けていたことも反省材料ではある。作家としてのプライドももちろんあるだろう。

 

加藤さんは、アイドルであり小説家、という稀有な立場に身を置いている。「アイドルじゃなかったら小説は書けなかった。」と言っているし、ファンに支えられて小説がだせている、というのは一番わかっているはずだ。しかも、「自分は賞がとれていないのに出版ができている。」ともいっている。その出版ができているのは、もちろん本人の血のにじむような努力があってこそだけれど、そこにたくさんのスタッフさんや、そして本を買ってくれる人、興味で買ってくれる人も、加藤さんのファンで購入する人も、作家加藤シゲアキの書く世界が好きで、本を読んでいる人も含まれると思うのだ。

 

実際、18万部、という数字をたたき出してしまっているのは事実だし、その辺の線引きを賞側も甘く見ていたんじゃないのか、という感じは否めない。

 

加藤さんが自分が間に挟まって、自分が傷つくことで良かれと思って書いたのでしょう。が、しかし。時にはスルーしてもらうことも必要なのではないかと、最近思うクラウド

 

クラウドで落ち込んだり、泣きそうになったのは3度目ぐらいかな・・・直近だと、名古屋公演のこと。入ってないので、状況が想像でしかなかったので。時に劇薬を盛ってくるからうちの担当は正直怖い時がある。

 

やっとみんなが雰囲気を察知して、沈静化してきたのに、新たに傷ついたり、落ち込んだ人がでてしまったことは事実だ。

 

なんで、文学が高尚な趣味で、アイドルやっていながら小説書いた人が色眼鏡で見られる必要があるのだろう。皆目わからない。それを覆してくれるのが加藤さんだと思っていたんだが。一番、「アイドルであり小説家」という肩書に、肩身の狭い思いをしているのは本人なんだな、と強く感じてしまって、まだまだ道は遠いなと思った。アイドルがうんぬん、って議論が出てくること自体が。肩身のせまい思いをさせているのがファン、と呼ばれる人だとしたら、それは大いに反省すべき、学習すべきところでもある。

 

そして、アイドルのファンが入れた票=組織票とみられた謎。ここが一番引っかかったところで、まあ呼びかけをしていたのは悪いとして、投票していたのが、NEWSのメンバーアイコンや加藤さんの顔アイコンだったからか?アイドルのファンが読書をしないとでも??本当に、ジャニーズオタクも民族と言っていいぐらいの人数いると思うけど、ほんとにいろんな種族がいるんですよ?アニメが好きなオタクだって、音楽オタクだって、スポーツオタクだって、色々居るでしょうに。なんでジャニオタはこんなにも偏見で見られるのかなあ。

 

「ジャニヲタ、でたよ」なんて、なんで言われないといけないんだろう。

 

そして、私自身も正直チュベローズは好きだが、まだまだ道の途中だと思っている。これは好みの問題だし、とやかく言われることでもないと思うが、加藤さんにはまだまだ書き続けてほしいのと、あとは、「あちら側」に行き過ぎてしまわないで、絶妙なバランスが取れているところがよかったのであって、そこにもう一度立ち返ってもらいたい。

 

そして、もっとTwitter文学賞は懐の広い賞であってほしかったと同時に、来年からは、他の人にもこういったことが起こり得る(過去にもあったようですね)。特に春にはA.B.C-Zの戸塚くんが本をだす。もしかしたら、来年同じような騒動がおきているかもしれない。Twitter文学賞の事務局の方々も、「存じ上げないのですが」じゃなくて、ここまで票が集まっているのはなぜなのか、「知ろうとする」必要はあるのではないだろうか。それは立場が上とか、年齢が上とか、関係はないと思うのだが間違っているだろうか。加藤さんが元々引いてしまう性格でもあるし、謙遜する人なのはよくわかっているけど、もっと自信を持ってほしい・・・・

 

誰も悪くない、誰も間違ったことをいってない。愛ゆえのことだからこそ難しいこの一件。みんながみんな、それぞれの対象を愛していることをよくわかっている。だからこそ、お互いの領分、というか踏み込んではいけない領域があることを理解しあって、共存していかないといけない時代ではないのかな。

 

たらたらと色んなことを書いたけど。

 

加藤シゲアキ、という人物が私は大好きだ。何事にも見過ごすことができず、がっぷり4つに組んでしまう。渦中に自分から飛び込んできてしまう。そして、根底にはすごく大きな優しさもあること、わかっているよ、シゲ。もうファンを傷付けたくないからこそのクラウドだってことも、頭ではわかってるよ。でもね、ちょっと私は相容れるのには時間がかかるみたい。ごめんね。シゲが自分を下げてしまったことがすごく悲しかったんだ。そんなことを書かせてしまった自分も悔しかった。何もでもしてあげられないただの1ファンの私には、ブログを書くのが精いっぱい。めんどくさい、自意識こじらせてる担当だけど大好きだよ。それだけは変わらないよ。

 

加藤シゲアキのバカヤロー!でも大好きだよ!!!